自己紹介(鈴木研二郎編)

自己紹介

初めまして。鈴木研二郎と申します。

 

普段、栗田に丸投げする予定のブログですが、自分の勝手気ままなタイミングでお邪魔しようと思うので、宜しくお願いします。

 

栗田に倣い、自己紹介を兼ねて、今のマイフード と仕事をするに至った経緯に関して書かせて頂きます。

 

 

私は、1985年に愛知県名古屋市に産み落とされ、そのまま高校まで名古屋の学校に進学しました。

 

大学は、「国際」「環境(特に砂漠緑化)」をテーマに学べる大学を探し、吟味した中で、一番自分の中でしっくりきたのが東京農業大学の「国際農業開発学科」であった為、そこに進学することにしました。

 

そのまま東京農業大学大学院の国際農業開発学専攻で環境学を研究をし、修士号取得後、業務用カット野菜製造及び野菜卸し事業を行っている会社に就職しました。

 

会社での仕事は、厳しくもやり甲斐があり、没頭していた一方で、いつも自分が「貧困問題」「食糧問題(飢餓など)」などのキーワードに触れる度に

 

 

『それらの問題の解決に携わる仕事がしたい。』

 

 

と感じている自分の思いが気に掛っていました。

 

そんな折り、東日本大震災が起きました。

 

 

あの出来事から、

 

『人生は、一度きりで、いつどんな形で終わるか分からない。』

 

という”当たり前”のことに気付かせてもらった私は、一念発起。

 

先に書いた”自分のやりたいこと”に人生を使うことを決断しました。

 

そこから、日本で何を考えていても、貧困や食糧問題の”現場”を知ることからしか何も始められないと(勿論、日本には日本の貧困・食糧の問題はありますが)、日本からアジアの最貧国の一つと云われるバングラデシュへの片道切符とバックパックを背負って日本を出ました。

 

 

当時の漠然とした目標では、そのまま飢餓が多いといわれるアフリカの何処かで仕事が出来ればと考えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貧困問題や食糧問題、弱者支援などの改善事業を行っている、会社やNPO・NGO等を中心にバングラデシュ、インド、カンボジア、タイを廻りました。

 

 

しかし、そこで目の当たりにしたものの多くは、継続性の弱い、バランスが取れていない取り組みでした。

 

勿論、私が見ることが出来たのはあらゆるものの氷山の一角でしかありませんし、働かれている方々の想いは尊いものばかりでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな道中に出逢ったのがマイフード 代表の柳沢でした。

 

柳沢と初めて逢った日、2回の食事を挟みながら10時間以上にのぼる時間、お互いの想いをぶつけ合いました。

 

その10時間の一部を要約すると、

 

ビジネスと支援は両輪であるべきで、有機農業はそれが実現出来るモデルの一つである。

 

それをマイフード は実践し、形にしてきたことやその先にある展望と、正に私がやりたいこととが重なるのを感じました。

 

 

もう一つは、

 

そもそも自分はあまりに微力で、単身アフリカの貧困、飢餓地域に行っても良くて一文無しになる、最悪命も落とすだろう。

 

そうならない為にはあらゆる力を付ける時間が必要ではないか、という指摘でした。

 

このようにして目標・志を共有した柳沢と一緒に仕事をする決断をし、日本を出たその足で日本に帰らずバックパックの荷解きからタイ移住生活が始まりました。

 

そして今、あっという間に丸3年が経ちました。

 

3年前より色々増えた取り組みや、皆様が知りたいと思われている情報、私が拙いながらも学び・感じたことなどを少しずつこの場をお借りして共有させて頂ければと思います。

 

 

今後共、宜しくお願い致します。

 

 

鈴木研二郎

 

栗田千尋の自己紹介
サワディーカップ!Chihiroです。 今回は自己紹介として『私がなぜタイのマイフード の現地農場で農業を始めたのか』について書かせていただきます...
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